短歌は、五七五七七の感想文ではない ──詩を書くことから、短歌を書くことを考える [#001]

短歌は、思ったことを五七五七七に並べたものではない。

もちろん、五七五七七という形は短歌にとって重要である。短歌は自由な短文ではない。三十一音前後という短い器があり、その器の中で言葉を選び、削り、響かせるところに短歌の難しさがある。

しかし、五七五七七に収まっていれば短歌になる、というわけではない。

たとえば、楽しかった、悲しかった、きれいだった、さびしかった、という気持ちをそのまま五七五七七に並べることはできる。身近な出来事を短くまとめることもできる。けれど、それだけでは、短歌というより「五七五七七の感想文」に近づいてしまう。

感想文は、感じたことを説明する文章である。

「私はこう思った」

「この出来事が印象に残った」

「だから悲しかった」

「だからうれしかった」

このように、感想文は自分の中で起きたことを、読者に向かって説明する。もちろん、それは文章として大切な営みである。けれど、短歌が目指すものは少し違う。

短歌は、感じたことを説明するだけではなく、読者の中に何かが起きるように言葉を置く詩である。

悲しいと書けば、悲しみが伝わるとは限らない。さびしいと書けば、さびしさが立ち上がるとは限らない。むしろ短歌では、感情の名前を直接書かない方が、その感情が読者の中で強く動き出すことがある。

たとえば、「さびしい」と言う代わりに、夜の台所に残ったコップを書くことがある。別れを説明する代わりに、相手が使っていた傘の置き場所を書くことがある。心の中をそのまま言うのではなく、心がそこに現れてしまうようなものを選ぶのである。

ここで重要になるのが、素材である。

短歌を書くとき、私たちはまず何かを経験している。見たもの、聞いたもの、触れたもの、思い出したもの、ふいに引っかかった言葉。そうしたものが素材になる。しかし、素材をそのまま並べただけでは短歌にはならない。

そこに、認識が必要になる。

認識とは、その素材をどう見たか、ということである。もっと簡単に言えば、ものの見方である。同じ夕焼けを見ても、「きれいだった」と見る人もいれば、「一日が終わってしまう感じ」と見る人もいる。あるいは、「昨日と同じように見えるのに、自分だけが変わってしまった」と見る人もいる。短歌において大事なのは、出来事そのものよりも、その出来事をどの角度から見たかである。

さらに、感情がある。

ただし、感情はそのまま説明すればよいものではない。感情は、短歌の中で直接叫ばれるだけでなく、言葉の選び方、視線の向け方、何を言わずに残すかによって表れる。短歌における感情は、名前ではなく、構造として置かれる。

そして、それを支えるのが言語であり、形式である。

短歌は短い。だからこそ、一語の重さが大きい。ふつうの文章なら流れてしまう言葉も、短歌の中では目立つ。説明しすぎれば重くなる。削りすぎれば伝わらない。どの言葉を残し、どの言葉を捨てるか。その判断が、短歌の質を決めていく。

五七五七七は、その判断を強制する器である。

形式があるから、言葉を選ばざるをえない。形式があるから、説明を全部入れることができない。形式があるから、作者は何を残し、何を読者に委ねるかを考えることになる。

だから、五七五七七はただの音数ではない。

それは、言葉を圧縮するための装置である。

短歌とは、経験や感情を三十一音前後の短い言語構造に圧縮し、読者の中で再び立ち上がるように設計する詩である。

この連載では、短歌を「感性の神秘」としてだけ扱わない。もちろん、詩には説明しきれない部分がある。けれど、説明しきれないということと、何も考えなくてよいということは違う。短歌には、創作の構造がある。

この連載では、短歌を大きく五つの層から考えていく。

素材。
認識。
感情。
言語。
形式。

何を書くのか。

それをどう見るのか。

そこにどんな感情が動いているのか。

どんな言葉を選ぶのか。

五七五七七という器の中で、どう響かせるのか。

短歌は、この五つが組み合わさって成立する。

もちろん、作るときに毎回これらを意識しなければならない、という意味ではない。最初から理屈で固めすぎると、歌は動かなくなる。けれど、自分の歌が弱いと感じたとき、どこが弱いのかを見つけるためには、このような構造の見取り図が役に立つ。

素材が弱いのか。

見方が平凡なのか。

感情が説明に寄りすぎているのか。

言葉が緩いのか。

形式の力を使えていないのか。

そう考えることで、短歌は「なんとなく作るもの」から、「直すことのできる詩」になる。

短歌を書くとは、思ったことを短く説明することではない。

経験を、読者に渡せる形へ圧縮することである。

そして、その圧縮された言葉が、読者の中で再び開くように設計することである。

短歌は、五七五七七の感想文ではない。

短歌は、短い詩である。

(了)


深水英一郎
次世代短歌

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