毎月短歌13・自由詠選評(選者:森下裕隆さん)

(編集部註:選者の森下裕隆さんより発表原稿を預かりましたので公開いたします)


 毎月短歌13(自由詠)の選評を担当しました。全118首のなかから10首を選ばせていただきました。特選1首、佳作9首です。

  

○特選

凪であるほかに多くを求めない二人で暮らす海のある部屋/ぐりこ

 海のある部屋。この省略表現に詩が宿っています。現実的には、〈窓から海が見える部屋〉とか〈海の近くの部屋〉あたりの意味だろうと思うのですが、まるで部屋の真ん中に小さな海があって、それを二人で共有しているかのようなイメージが思い浮かびました。上句の迂遠とも思える言い回しにも深い味わいがあります。たった二人の小さな海でさえときには荒れることがある。そのことに気づいているひとの言葉だと感じました。

○佳作

朝なんて来なくていいし列車にも乗りたくないし乗らんでいいよ/間之口葵一

 恋人への心情の吐露だけで一首が成り立っています。いわゆる後朝の歌でありながら、色っぽいというよりは無垢さを感じさせる語り口です。二人だけの世界を終わらせて、轟音を立てて列車が走る朝の世界へ向かわなければならない悔しさが結句に滲んでいます。

ああそうだ エゴン•シーレの中にいて我の瞼にくちづけた人/雨

 「我」は、数年か数十年かの時を経て、ふたたびエゴン・シーレの絵の前に立っています。「我の瞼にくちづけた人」は、さりげなく巧みな言辞です。絵そのものが持つ生命力が「我」に働きかけてきたかのような印象を受けました。芸術に身体を貫かれる瞬間がやわらかく表現されています。

ナスのヘタみたいに曲がる前髪はお揃いだからそっと味わう/山川然

 「そっと味わう」がいいですね。小さなお揃いを見つけ合う二人だけのよろこびが伝わってきます。季節は描写されていませんが、夏の雰囲気の強い歌です。

ばあちゃんの畑で採れた野菜たち 雨、風、太陽、かぶりつけ夏/琴里梨央

 素朴で素直な歌です。元気があふれていて読んでいるほうもうれしくなります。ただ、結句はすこしキャッチコピー的にも感じられました。

ざわついた日には心を閉じていいアノマロカリスと太古の海へ/琴里梨央

 夜の机の上に古生物図鑑をひらく少年か少女の姿が思い浮かびます。歌のなかには図鑑の要素は無いのですが、古生物図鑑という具体的なモノが手元にある光景を思い浮かべたほうが、下句が引き締まるように思いました。〈いま・ここ〉ではないどこかへこころを飛ばすためのイメージとして、アノマロカリスはとても独創的です。

台風を抱えて生きているはずの母にハイビスカスのあかるさ/塩本抄

 「台風」は、癌など長期の治療が必要になる病気の比喩でしょうか。ハイビスカスのあかるさ。その翳りのなさに不安を感じながらも、子は母を見守っています。

 この歌に関しては押韻にも惹かれました。「抱えて」「母」「あかるさ」など、主にア音の頭韻が背骨になっています。「はずの」でやや音をこもらせつつ、一首全体としてはあかるく開放的な印象を保っています。

綺麗だな 断りかけたレシートのクーポンを指さす人の爪/インアン

 明確な理由はありませんが、これは深夜の出来事だと思いました。深いこころの交流を描いているわけではありません。店員のマニキュアを「綺麗だな」と感じたことも、次の日には忘れ去ってしまうような儚いこころの動きです。短歌定型がその一瞬の出来事、感情をカメラのように切り取っています。

スピーチは中身を詰めない方が良い 教えた母はあのオムライス/谷 たにし

 スピーチについての教えとは裏腹に、母はあんなに中身の詰まったオムライスを作っていた、そのギャップを面白がる歌、なのですが、それとはちょっと違う部分に興味を持ちました。

 下句「教えた母はあのオムライス」は定型に合わせて省略された表現です。情報を過不足なく伝えるにはやや省略し過ぎなのですが、結果としてどこかシュールな表現になっています。「オムライス」と「母」が概念の上であり得ないくらい近づいてくっついてしまっているかのような…。脳内のイメージを定型で表現するときに必ず起きるズレが、結果的にこの歌に意想外な趣きを与えています。

閑かなるバスにわれしかおらねども降りし老婆の振る手かすかに/檜山省吾

 ほんとうに手を振ったのか、そう見えただけか、小さな謎が残ります。老婆とバスの取り合わせもリアルで絶妙です。乗客のほとんど居ないバスに漂うどこか異界的な雰囲気。あの特異な空気感がよく再現されています。

(森下裕隆)



森下裕隆(もりしたひろたか) 
未来短歌会彗星集。第六回笹井宏之賞大森静佳賞受賞。

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